『あした(パンデミック後)のために2020』 #covid19japan


1:
時に2020年。
世界は2019新型コロナウイルス(SARS-Cov-2)の伝播、そして感染症(COVID19)に戦慄し、地球上の凡ゆる人々がパンデミックの当事者となり、各々のやり方で向かい合うこととなった。
ウイルスは『空気を読む』とか『忖度』とかいう人間の集団(特に企業やムラ社会などの狭い人間関係の集団)での処世術を嘲笑うかのように、接触・飛沫感染という形で、大型客船や航空機という、20-21世紀の人類社会の交易手段に乗っかる形で世界中に拡散していった。
そして、人間の集団の中で働くことを必要とする仕事や人間の集団であることが重要なイベントに強いダメージを与え、特に持病がある人や(国の中で相対的に)貧しい人々、身体を使う労働者に犠牲を強いることとなった。
人によってはこのパンデミックを『戦争』と称した。
人の移動がウイルスの拡散をもたらしたことを考えると、『都市封鎖』や航空/鉄道路線の減便/運休などの移動制限などの一種の『籠城戦』を現代社会に強いることを考えると『戦争』に例えて物事を解釈するのも(好むと好まざるに関わらず)自然なのかもしれない。

2:
今回のパンデミックを『戦争』に例え、人びとに防護策を取るよう訴え、人びとの生命/生活を守るべく政府があることを訴えたのは、フランスの大統領・マクロンだった。
また、UKの首相・ジョンソンは自らがCOVID19により一時自己隔離を伴う療養を強いられたことを受けて『社会はある』と彼が批判してきた社会保障制度の存在意義を認めるに至った。

ちなみに本邦は、
・確定診断者(感染者)の掘り起こしのための対応の(他国と比較して)弱さがみられること、特に市中感染対策の甘さ
・保健政策担当でなく、経済産業政策の閣僚が特命担当大臣に就任した
かつての不況期に行われた地域振興券や旅行業などの業界団体支援策を国民保護策よりも先に打ち出した
・飲食店やパチンコ店やイベント業界への『休業要請』が事実上の外出制限となった
・外出制限/自粛(と称する同調圧力)による甚大な経済的影響が生じたものの、対策が後手後手
・既存の制度(例:雇用調整助成金)の使い勝手の悪さが露呈し、廃業を余儀なくされた事業者が続出した
・国民保護策(といっても効果が極めて疑わしい)として外出制限に対する所得補償的現金給付ではなく、初期段階で著しい需給ギャップが生じたマスク(それも旧いタイプの布製、しかも配布が5月以降にずれ込んだ)を全世帯に配布することとした
・打ち出された対策も業界団体への配慮を優先した(例えば旅行業界など)権力者達と身内優遇的性格がみえるものだった

など、都市封鎖と合わせて一時的な現金/食料品の給付を行い、厳しい外出制限付きの国民保護策を早い段階(2020年3月-4月の上旬)で実行したり、速やかにSARS-Cov-2の拡散状況を把握し封じ込めに努めた他国政府(中央政府のみならず地方政府など含む)と比べるとあまりにもお粗末な体たらくであった。

3:
非常事態・異常事態には、人の性格の『地金』が出るというが、それは個々人に限らず、人間の集団たる社会や統治機構、ひいては国そのものの性格も露わになるのだということを改めて感じた。
そして、多くの人々は、そのことを大なり小なりこのパンデミックで知ったのではないか。

本邦の場合、国の役割を

・国民よりも統治システムとしての国を守ること(例えばWW2末期の『国体護持』)
・一人ひとりの国民を守るための国ではなく、統治者とそれに近い利害関係者同士の調整を図ること

だと、権力者層だけでなく私たち一人ひとりの『国民』もどこかで思っているようにみえる。

偉い人のやることは間違ってない、偉い人についていって、おらが村が平和(見かけ上のものだったとしても)ならいいんじゃないか、と。

国は何のためにあるのか。
筆者は2011年の東日本大震災/福島第一原発事故と、それ以前から放映されていた『坂の上の雲』をきっかけに司馬遼太郎の随筆や紀行文をはじめいくつかの小説を読み続けてきた。
国というものにも性格がある、という見方は、近年映画を折々に観てきた中でも頭の中に入れてきた。
以前から当ブログで司馬の著書を叩き台にして、2010-20年代に置き換え、スケールアップして自分なりに考えてきた。

司馬の著書にいくつか日本の統治機構の弱点について触れている部分があるので、参考までに紹介させていたたく。
皆さまにはこの機会に著書をご一読いただきたい。

【『長安から北京へ』より】
『将軍という為政者は鎌倉、室町、江戸を通じ、大名対策をおこなう存在ではあったが、人民をなんとか幸福にさせたいなどという思想は、本来、絶無にちかいものであった…中国では紀元前から曲りなりにも政治とは人民のためのものであり、人民を離れて政治思想はないという伝統が継続してきたが、日本の歴代の権力にはそういうものがほとんどない、と言いきってしまっても本質を外れることはない。』(90-91ページ)

『要するに、流民が政治をゆるがすほどの量では出ないという日本の農業事情の相違によるわけで、それがために日本の歴史的権力は人民を怖れるという要素が薄く、逆にいえば人民の側においても政治というものが中国ほどには切実でなかったということがいえる。』(92ページ)

本邦のモンスーン地帯の気候や、それに影響を受ける農作物、農業の形態が私たち本邦に住まう人びとのまつりごとに対し影響を与えているという見立てである。
風水害は、近年の被害の激甚化/広域化の傾向が現れる以前は、大抵の場合数日ほど家に篭り、雨風をやり過ごせば仕事に復帰でき、経済も回復するのが早かったような印象である。
無論、社会基盤の整備が進んできたことが影響しているのも大きいが。
それもまつりごとに対してあまり切実さを感じなかったのではないかと思える。

【『人間の集団について』より】

政権というのはそれが成立した当時の原形の性格から離れることが困難なように思える。
日本の例でいえば、太政官という徹底的な官尊民卑政権が、明治憲法下の明治政権になってもその遺伝的体質をうけつぎ…敗戦によってもろにつぶされるのだが…いまなおたとえば水俣病に対する「官」の態度がそうであるように、極端に「民」に対抗するものという組織の思考法がある。
公害という重大な「民」の問題がおこる場合、日本の政府や官庁は、悪気でなく、これをどう思考法しどう始末していいのか分からず、一種の痴呆状態になる。その理由は、「民」をなっとくさせるような思考法が、伝統として存在しないか、きわめて乏しいためである。
「官」はむしろ「民」の一揆的昂奮状態に対しわそれをいっそ敵として考えてみるほうが、思考の反射作用としてラクであり、自然でさえあるといったようなところがあって、それが自然な思考法であるために悪気などはないのでないかと思ったりする。』(217-218ページ ※この部分は以前も紹介している)

公害のみならず、人災や自然災害に対する統治機構の反応をみるとき、日本政府の『性格』を知ったうえで私たちは手を打つ必要があるが、そういう前提で、相互扶助(といっても、せいぜい半径数メートルの世界だったり、ムラ社会の構成員であることが前提だが)で動くことを迫られるのは、生きることについて他の国々の人びとよりハンデを背負っているようにみえる。

4:
SARS-Cov-2ウイルスおよび感染症COVID19が世界各国の政治/経済/社会のセキュリティホールを突いて拡散していくさまを、私たちは世界同時多発的に観察している。

また、インターネットやソーシャルメディアの普及により、私たちは政府や資本家や社会の構成員の立ち居振る舞い(時には無様な姿)をその気になれば観察し、我が身を振り返る術を得ようとしている。

『パラダイムシフト』が起きるかもしれない、という人もいる。
2020年代の終わりに生きているであろう人類社会は、どのようになっているのだろうか。

筆者は、少なくとも

すみずみまで人民を食わせてゆくことをゆるがぬ大綱にしている』(『長安から北京へ』109-110ページより)

人間の集団が生き残るだろう、と思っている。

永田町やホワイトハウスやダウニング街やエリゼ宮だけが政治じゃない。
ウォール街や兜町だけが経済じゃない。
どれだけの人びとがそれを分かっているかどうかが、21世紀末に私たちの社会が生き残っているかの鍵だと思う。

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