【映画鑑賞記】命懸けの化かし合いの果てに:『工作 黒金星と呼ばれた男』

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0:

『スパイもの』の映画や小説、テレビ番組といえば、皆さまはどのような作品を思い浮かべるだろうか。

筆者の場合は、うろ覚えでしかないが、幼少期からよく題名を耳にしてきた『007シリーズ』がイメージとして出てくる。

近年であれば、例えば『ミッション・インポッシブルシリーズ』なども出てくるであろう。

これらの影響もあって、スパイ映画にアクションシーンがつきものだと思う方もいらっしゃるだろう。

だが、本作『工作 黒金星と呼ばれた男』は、アクションシーンは皆無である。

何よりも、大きなウエイトを占める『化かし合い』『心理戦』というものが本作の見所であろう。


1:

1990年代の韓国の政権は、北韓(北朝鮮)の核開発についての情報を得るべくスパイ活動を行っていた。北韓も南(韓国)の体制に関する情報収集や撹乱を図るべく、韓国をはじめ世界各地にスパイを送り込んできた。

日本統治時代〜625(朝鮮戦争)を経て『分断国家』となり現在に至る韓半島(朝鮮半島)の環境下、スパイとして北韓や中国で活動してきた『黒金星』と北韓の外貨獲得政策を仕切る政権中枢に近い人物の対峙、そして国家という『重苦しい鎧』を剥ぎ取ったナマの人間としての関わり合いを描いたのが本作である。


『黒金星』パク・ソギョン(役:ファン・ジョンミン)は、元々軍人だったが、スパイ活動の為に事業家に偽装することになった。

日常の所作や言動まで徹底して事業家としての立ち居振る舞いを求められることとなり、北京などでは警察当局や北韓のスパイのマークを逃れようとした。

日常会話でさえ、電話回線やホテルなどでの盗聴に神経をすり減らす日々であった。


そして、『黒金星』は北京のレストラン『高麗館』で北韓の実務者である対外経済委員会所長のリ・ミョンウン(役:イ・ソンミン)と対峙し、北韓政権中枢への接近・核開発の実状を探るための工作活動を本格化させることとなった。


2:

『黒金星』は、温和・紳士的なイメージを持たせるも一筋縄ではいかないリ所長やその周囲の北韓の国家安全保衛部の課長である軍人肌のチョン・ムテク(役:チュ・ジフン)との、観る側がハラハラさせられる駆け引きを展開し、北韓への『入国』を果たす。

この命懸けの駆け引きというか化かし合い、まさに頭脳戦・心理戦というか、何気ない一言どころか一挙一動のミスが運命の分かれ道であり、綱渡りの様相を見せる。


『ここで妙なことやったら工作がパーになり『消される』んだろうな、ちょっとでもしくじったら終わりだな』と思わされるシーンが随所にある、というより、ほぼ全編を通してその印象がひしひしと伝わってきた。

スパイものというか、サスペンスものを見ている心境になる。

心身を摩耗させ、工作活動を遂行し、仕事人として・国や組織の命運にも関わる場面で互いを試したり騙し合いを繰り広げる中で、彼らは互いを人間として見るようになる。

本作を『友情』という軸でみるとすれば、『国家』と『個人の友情』が衝突するとき如何に立ち回るか、を登場人物たちと己を重ね合わせてみるのも一興である。

その結末はここでは明かさないが、胸が熱くなるラストシーンなので是非映画館なりDVDなりオンデマンド配信で観ていただきたい。


3:

役作りにあたり、ファン・ジョンミンや本作監督のユン・ジョンビンは『黒金星』本人に会っている。

本人たちが実在の人物から抱いた印象をベースにストーリーや演出・演技を造り上げている。


公式パンフレットに収録されている、ユン・ジョンビン監督とファン・ジョンミンのインタビューの一部を紹介しておきたい。


(ユン・ジョンビン監督)

『(『黒金星』本人と直接会った印象について)本人にお会いしての印象は何を考えているのか全く表情の読めない方でした。』


(ファン・ソンミン)

『一番驚いたのは、人は話をする時、相手の目を見ると今どんな心理状態なのか、なんとなくでも分かるじゃないですか?でも、パク・チェソさん(註:『黒金星』本人の本名)は目を見ても全く読み取ることができませんでした。今、どんな気分なのだろう?機嫌がよいのか、よくないのか、僕には全く読めませんでした。それには本当に驚きました。きっと長いこと諜報員として活動していたからそうなのだろうとは思ったのですが。』


『黒金星』本人を直接見た人の印象が、諜報活動とか工作員の仕事というものの凄みを感じさせる。

全身全霊を賭けた化かし合い・騙し合い・腹の探り合い『外交』というものはもしかしたらこんな側面があるのかもしれない、とも思ったが、その化かし合いの中からも『人間』というものが見えてくるのではないか、とも思った。


4:

北韓のシーンで印象的なシーンが二つある。

まずは、故・金正日(キムジョンイル)朝鮮労働党総書記の登場するシーンである。

特殊メイクを駆使し8ヶ月かけて、皆さんも何かしらの形で観たことがあるはずのあの金正日の在りし日の姿を本作で再現された。

『黒金星』だけでなく、何かしら金正日と関わりがあった人々や北韓の中枢を見た人々などの意見を踏まえ、徹底した考証で作り上げた結果であろう。

金正日の一挙一動でさえ、ほぼ『完コピ』できることに凄みを感じさせられた。

(フレディ・マーキュリーでさえ『完コピ』できる時代である)


二つ目は、寧辺(ヨンビョン)地域のシーンである。

『黒金星』と朝鮮労働党の案内人は、かつての王墓の調査と称して(本来の目的は核施設の調査だが)ヨンビョン地域のある街を歩く。

その光景は、1990年代の食糧危機の際に北韓国内で極秘裏に撮影され流出した、闇市の光景やストリートチルドレン(『コッチェビ』とも呼ばれる)たちの姿を見事に再現したものである。

街中のゴミ捨て場に(おそらく餓死したであろう)人々の骸も無造作に捨てられていたシーンもある。

これは日本国内のテレビニュースなどで放送できないだろうが、事実としてあったのだろう。


案内人は、会話が盗聴されているのを知ってか知らずか、『黒金星』に本音を漏らした。

リ所長も、その声に耳を傾けていた。


国の危機と、外貨獲得のために滞在する北京の風景を目の当たりにしてきたリ所長のリアリズム。


そして、韓国政府の工作活動が、政治情勢の変化の中で無に帰すのではないか、という状況。

国のメンツか、生身の人間同士の友情か、そして、人々の幸福を目指すのか。


アクションはなくとも、『ファクション』とはいえ現実のスパイ活動や外交戦というものの凄みを感じさせる作品である、と思った。


韓国の社会は、政治の話が井戸端会議や酒の席の話題にのぼりやすく、私達日本人が想像するよりもずっと政治のことが日常の一部であり、カジュアルな社会なのだと思う。

本作をはじめ『タクシー運転手』『1987』などの秀作が世に出るのも、そういう社会だからこそ、なのだろう。


参考:

公式サイト http://kosaku-movie.com/

本作が紹介されたTBSラジオの番組の書き起こし https://miyearnzzlabo.com/archives/58368

201810月の記事:コードネームは「ブラックビーナス」、故金正日総書記と面会した韓国人スパイ

https://www.afpbb.com/articles/-/3192112

20106月の中央日報の記事:対北工作員「黒金星」、北に軍事機密を渡した疑いで逮捕 https://s.japanese.joins.com/article/744/129744.html

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