投稿

地方と中央 2018 その2 明治150年:文明開化が遺したもの

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 12月 31, 2016 at 11:13午後 PST 【ポップなファッション、『KAWAII』文化の発信源として知られる東京・原宿界隈の最寄り駅、JR原宿駅の駅名標。2017年1月撮影】 引き続き、司馬遼太郎の『文藝春秋』への1982年の寄稿『 中央と地方』よりいろいろ考えてみる。 1868年のいわゆる『明治維新』後の『文明開化』。 これは東京一極集中、 中央集権制だからこそ劇的に進行したのかもしれない。 司馬は、明治期の東京を、『世界史から見ても異常な都市』『 単なる首都というものではなく、欧米文明の吸引装置であり、 伝播装置を兼ねていました。』 『徹底的に、奈良の都の規模を何百倍したような、 巨大な文明開化の装置』 と述べている。 東京がもたらしたものが、 明治期の日本に及ぼした影響は極めて大きかったということであろ う。 大久保利通をはじめとした明治政府のコアメンバーが、( 今考えると独裁制じゃないかと言われるだろうが) 権力をフルに活用したがゆえ日本の近代化を進めることができたと もいえるのではないか。 言語の観点からみると、小学教科書の制定、 小説の言文一致運動は、『言語の文明開化』 であったと司馬は述べている。が、その結果、 地方の言語文化が決定的に敗者もしくは奈良朝ふうな鄙の位置に落 とし込まれ、市民権を失ったという負の側面があった、という。 各地方の方言を使うことが憚られるような空気を体感した方々がい らっしゃると思うが、 これは明治維新の影響が大きいのだと思えば、 腑に落ちるかもしれない。 『標準語』を浸透させる過程で、 うっかりでも方言を使った子供に『方言札』を提げさせるという、 21世紀の概念からみると明らかにパワーハラスメントであるペナ ルティを科したという話もある。 そこまでして、地方の人々に多大な苦痛を与えてまで、 日本は近代化を進めてきたのである。 参考:方言札 https://kotobank.jp/word/%E6% 96%B9%E8%A8%80%E6%9C%AD-627441 近代沖縄における方言札の実態 禁じられた言葉 https://ci.nii.ac.jp/els/ contentscin...

地方と中央 2018 その1 東京中心主義的なもの

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 9月 22, 2017 at 6:01午前 PDT 【JR東京駅丸の内口。2017年9月撮影】 筆者はインターネットが普及している2010年代の現在、 とりわけソーシャルネットワークを通じて、 意見や思想信条が近い方々と、仮想空間、時には現実社会で、 交流を図ってきた。 その中で、日本において政治・経済・社会・ 文化などあらゆるものに影響する東京中心主義的なものを感じるこ とが多かった。 ところで、東京中心主義的なものの原型は何処からきているのか、ということを、 司馬遼太郎の『文藝春秋』1982年5月号への寄稿文『 中央と地方--いわゆる都鄙意識について』 から考えてみることにした。 司馬はこの1982年の寄稿文で、 東京中心主義の原型のようなもののルーツが大和朝廷の勃興期にあ るのではないか、と推察している。 大和朝廷が『高度に海外文化を身につけることによって、 日本列島のすみずみまでの古代的な豪族たちを眩惑し、 その文化を畏れさせ、文化の威に服せしめ』 たのが大きいと考えていたようである。 つまり、 地方の豪族たちに対し大和朝廷が自らの威光を示す要素として海外 文化を導入したのではないか、ということのようである。 大和時代の地方の豪族たちは、結果として『中央には敵わない』 とみたのだろうか、大和朝廷に服し、 自らを中央より意識の上で低い地位に置くこととなったのであろう 。 『日本に都(と・中央)と鄙(ひ・地方)の別ができ、 鄙はつねに都の文化に慴れ(おそれ)伏し、 みずからを田舎者とおもい、都は田舎を無価値で愧ず(はず) べきものとする日本文化の基調』は、大和朝廷の時代に確立した、 と司馬は述べている。(歴史と風土・252ページ) 平たくいえば、都会が上で地方が下という、私たちの心のそこにある意識が大和朝廷の時代に出来上がってしまった、ということである。 その後、大和朝廷から奈良時代、平安時代に移っても、『 文明の光源』、 いわば情報などの強力な発信源が都にしかないという点では変わら なかった。 『中央だけが非常に尊貴であって、地方は野蛮という感じ』は、 時代が移り変わっても、 筆者を含む日本人の心の奥底...

スターウォーズ #最後のジェダイ から感じたアメリカ文明

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 7月 3, 2017 at 5:31午前 PDT 【『スターウォーズ』最新作『最後のジェダイ』をテーマとした、博多祇園山笠・上川端町の2017年の山笠。2017年7月撮影】 映画を観ることが少ない筆者であるが、先日福岡市内で『 スターウォーズ 最後のジェダイ』を観てきた。 夜は家でゆっくりしたい気分だったので、 夜の部のIMAX3D版ではなく通常の字幕版を観ることにした。 このシリーズの上映を知ったのは、今は閲覧のみにしているが、 筆者の実家の近くにお住まいの映画好きの方のツイッターのアカウ ント経由であった。 映画館では空腹感を紛らすためにポップコーンと烏龍茶を買ったの だが、『Mサイズの』 ポップコーンがバケツ並みのサイズの入れ物に入って出てきたのに 内心閉口しつつ、本編前に3分の2、残りを少しずつ食べ、 3時間かけてようやく完食した。あのサイズをしょっちゅう食べ、 自己管理を誤れば、容易に肥満体になってしまうのではないか、 と思った。 シネマコンプレックスの形態の原型がアメリカにあることから、 運営が日本法人であっても、サービスなど、 アメリカの影響を多分に受けていることは否めない。 『わずか五セント(筆者註:1890-1900年代の物価) でビールをたっぷり飲んで、無料のビーフをおつまみに食う" 自由"こそアメリカの魅力であったろう。同時に、 この魅力がアメリカからもし消えることがあれば、 アメリカそのものが消滅することになるだろう。』(『 アメリカ素描』文庫版269-271ページ)と、 1890年代の食料品が溢れんばかりのフィラデルフィアの街中に ついて司馬遼太郎が生前述べているが、 あの馬鹿でかいMサイズのポップコーンも、見方を変えれば『 アメリカの魅力』ということになるのかもしれない。 さて、映画を観て思ったのは ・敵を殲滅することよりも生き延びること ・ルーク・スカイウォーカーの台詞にあったように、 成功も失敗も含めて次の世代に伝えていくこと ・ 主要な登場人物が敵同士であっても理解しようと努める姿をみてど う思うか ということを、ジョージ・ ルーカスが私達に投げかけているのではないか、 というこ...

フェイクニュースと中世の激情

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 10月 21, 2017 at 5:49午前 PDT 【旧い街並みが寺社仏閣とともに21世紀の今も残る博多区御供所町。2017年10月撮影】 『人間が政治の面で歴史時代より利口になったというのは、 ほんのわずかな部分でしかない。』(『人間の集団について』 文庫174ページ)ということを、時には思い出してみたい。 この写真で撮った街並みが、商品経済・貨幣経済や国際貿易の影響を受け続けてきた博多に出来たころと比べて、人間の社会に対する感覚は『進化』しているのだろうか。 時々、ジェンダー問題や労働問題や社会福祉の問題をみて、 2010年代の日本をまるで中世だと皮肉る人がいる。 中世とはどんなイメージだったのか、 ということを読み返してみた。 『アメリカ素描』376-379ページより引用したい。 『中世という時代規定はあいまいだが、…中世にあっては、 モノやコト、 あるいは他者についての質量や事情の認識があいまいで、 そこからうまれる物語も、また外界の情景も、 多分にオトギバナシのように荒唐無稽だった。… そういう認識の空白のぶんを大小の宗教がうずめていた。』 『近代においては、社会をおおった商品経済(貨幣経済)が、 人間をそれ以前の人間と訣別させた。学校ではなく、社会が、 モノやコト、あるいは自他を見る目を育てたのである。』 司馬遼太郎の小説は、筆者は『城塞』や『酔って候(短編集)』 を読んだ限りだが、 ロマンチシズムとリアリズムの相剋というテーマが底流にあるように思え る。 リアリズムの影響力がはっきりしてきたのが近代であるというよう にみえる。 とはいえ、 人類の歴史が中世と近代で完全に分断されているわけではない。 人間の性質は、 どれだけ時代が流転しても変わらないところは変わらない。 『中世では個々の人間が激情に支配されたが、 近代にあっては個々のなかではむしろそういう感情が閉塞し、 どういうわけか集団になったときに爆発する。 中世の激情が集団の中でよみがえるといっていい。 むろん、爆発にいたるまでには、 揮発性の高い言論が先行している。』 この一節、 私たちの文明社会は中世の地続きにある、ということを あらわしているように思...

完全アウェイの世界で生き残ること--2015年のフィリピンにて

イメージ
【フィリピン・セブ市内。2015年6月撮影】 【セブ州庁舎。2015年5月撮影】 2015年の初夏、筆者はフィリピンに滞在していた。 当時はアロヨ大統領のもとで( 過去から続く種々の格差や治安の問題があるにせよ) 比較的平和に人々が過ごしていた。 転職活動の傍ら、中部ビサヤ地区のセブ市で、後学のため、 サバイバルのため、英語の勉強を本気でやろうと思ったのである。 近年、フィリピン国内は東アジアに近いこともあり、 韓国人や日本人向けの短期留学の語学学校が次々と設立されている 。 いわゆる先進国との経済格差や貨幣価値の違いもあるが、 米国や英国への留学より費用が安く済むことが大きな要因である。 元々、 フィリピンは日本より言語圏や文化が細分化された島国であり、 かつての米国統治の影響もあり、 英語が一定水準以上の教育を受けた階層で普及している。 現在ではASEAN圏の一国として経済成長が進んでいるが、 英語が使えて母国より(職種によるが) 稼ぎのいい米国やカナダなどの英語圏への出稼ぎも多い。 語学学校の若い講師たちや市内の人々は、どこか楽天的というか、 『坂の上の雲』っぽくいえば、 『登っていく坂の上の青い天』の『一朶の白い雲』 のみを見つめて『坂を登ってゆく』ように思えたのである。 当時ボクシング界でブレイクしていた、フィリピンの英雄マニー・ パッキャオの生い立ちも、国民的な人気の空気も、まさにこの『 坂の上の雲』の冒頭のように筆者には映ったのである。 社会科で人口構成のことを扱ったことがあればピンとくるだろうが 、フィリピンの人口構成を考えると、かの国は『少年の国』 であると思った。 いわゆる『発展途上国』 のくくりで日本から見られていた時期が長かったためか、 国の歴史としては短くはないが、経済発展だけみれば筆者には『 少年の国』にも見えたのである。 彼らを含めた当時の同志たちと学校にこもり、 時々街中や郊外の観光地にでかけた。 そんな中、自分たちは経済格差の上に生きている、 彼らに一種の犠牲を強いているんだ、ということも感じた。 また、日本人が明らかに少数派である空間に身を置くことで、 基本的に日本人しか見かけない空間が例外的なものだということを 知ることができた。 たいていの人は、海外旅行するときは『地球の歩き方』 などのガイド本を持っていくが、筆者は『...