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【映画鑑賞記】或る女の英雄記 #アリースター誕生 #AStarisborn

View this post on Instagram Takehisa Matsuda (43)さん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2019年 1月月17日午後10時33分PST 公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/s tarisborn/ wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ %E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC/_% E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E8% AA%95%E7%94%9F 以前から演出や衣装・化粧などの外見で『傾奇者』のイメージを強 く持っていた、そして多くの人びとも『傾奇者』的イメージで見て いたであろう、レディー・ガガの主演作『スター誕生』を観た。 本作は、歌唱力が極めて優れているが無名であり自らの鼻に劣等感 を抱いている女性・アリーの成功記、そして名声を得た後の夫婦間 の苦闘を描いた人間ドラマである。 恋愛映画として捉えることもできるが、それだけでは本作を充分愉 しめないのではないが、宣伝が下手だとこの名作を見逃すかもしれ ない、と思った。 余談だが、本作は年齢層による視聴制限がある。 主人公アリー(ガガ)の生活環境などの設定を踏まえたものだと思 うが、いわゆる『Fワード』が会話の中でよく出てくること、男女 の情交がストーリー展開上出てくることがあるためであろう。 本作を観た人びとは、ガガの『傾奇者』のイメージをぶち壊し、イ メージを再構成できるはずであり、元々は映画界の人であるブラッ ドリー・クーパーのギターなどの音楽のセンスに脱帽するはずであ る。 当邦、とりわけ斜に構えがちなネットユーザーは、恋愛映画や恋愛 ドラマを例えば『スイーツ()』などと揶揄することがあるが、 それは宣伝の問題なのではないか、とも思ったのである。 もし何も知らずに予告だけ観てたら、観てなかったかもしれない。 恋愛はストーリーの要素として重要であるが、前半をアリーの英雄 譚・成長小説(の映像版)としてみる、そして、 後半をアルコール依存の夫・ジャクソン(ブラッドリー・クーパー )の再起への『闘い』とみると...

アトランティックシティ:都市のつかいすて その2

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Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 2018年 7月月19日午後9時38分PDT 『 当たり前の話だけど、 米国のカジノ業界はモロに景気連動するからね、 景気がいいときは儲かるが、 景気停滞するとひとびとの財布の紐固くなってカジノも干上がる。 米国最大級のカジノリゾート倒産に至ったトランプのタジマハール カジノは、皮算用自体が馬鹿げていたが、 景気後退の影響もモロに受けた。』 当たり前の話だけど、米国のカジノ業界はモロに景気連動するからね、景気がいいときは儲かるが、景気停滞するとひとびとの財布の紐固くなってカジノも干上がる。米国最大級のカジノリゾート倒産に至ったトランプのタジマハールカジノは、皮算用自体が馬鹿げていたが、景気後退の影響もモロに受けた。 — TrinityNYC (@TrinityNYC) 2018年7月20日 『都市のつかいすて』というネタ http://onthewayinkyushu.blogspot.com/2018/01/blog-post.html を2018年の正月に上げたが、 統合型リゾートに関する諸法令の制定・ 改定が確実になった2018年夏、 ネタ集めの為に眺めていたTwitterのある方のアカウントで 共有されていた投稿で、 『都市のつかいすて』 ということを思い出したのである。 前回は筆者が西鉄電車でふらりと立ち寄った大牟田の昔ながらの商 店街と『アメリカ素描』をヒントにした。 今回は米国のカジノと景気変動について示唆する投稿であり、 ブルース・スプリングスティーンの『アトランティック・シティ』 のことを思い出した。 ここで、司馬遼太郎『アメリカ素描』 の一節を参考までに紹介しておきたい。 『アメリカにきておどろいたことのひとつは、 機能を失った都市を、平然と廃品同然にしていることだった。 フィラデルフィア市を見てそう思った。 日本でいえば、大阪を廃品にするようなものである。』(『 アメリカ素描』247ページ) 『 いわば豪儀なことができるほど国土がひろいということもあるだろ う。… 資本というものの性格のきつさが、 日本とくらべものにならないということもある。 この社会...

#ペンタゴンペーパーズ とアメリカ合衆国の『かたち』 #pentagonpapers

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【筆者のインスタグラムの「ストーリーズ」に上げた画像より】 公式サイト http://pentagonpapers-movie. jp/sp/ 先日観た『ペンタゴン・ペーパーズ』について書く。 この映画は、 アメリカ合衆国国防総省のベトナム戦争に関する内部文書をスッパ 抜いたニューヨーク・タイムズとワシントン・ ポストに関する社会派映画である。 本作ではワシントン・ポスト(以下WP)が中心である。 文書の内容はベトナム戦争への反戦運動を活性化させることになる が、 軍事政策に及ぼす影響を考えるとスッパ抜かれたこと自体を面白く 思わない合衆国政府と、 職業倫理をとるか政府との付き合いをとるかで揺れたWPの内部や 利害関係者のせめぎ合い、という話の筋が、観る者に「 あなたならどうする?」と訴えかけてくるのである。 あなたがWPの新聞記者ならば、編集主幹(トム・ハンクス) ならば、社主(メリル・ストリープ)ならば、役員ならば、 法律顧問ならば、政府関係者ならば、どう立ち回るか。 おそらく皆さんがそれぞれの立場に立てば、 それぞれの俳優たちが演じたような心理状態になるだろうし、 行動を取ろうとするだろう。 それぞれにとって最善だと思う策を推すことになるだろう。 政府の有形無形の圧力や役員たちの諌めなどを受けながらも、 社主は「記事を出す」という決定を下したのである。 編集主幹の “Run.”(動かせ) 印刷部門の担当者の “Yes, Sir.”(はい) から映画のクライマックスを迎える。 WPは職業倫理を、読者を、そしてブランド・ 仕事の質についての信用を守ることを選んだのである。 前半は伏線の回収を待つ我慢比べのような展開であるが、 クライマックスで筆者が思ったことは、 ・人工国家と司馬遼太郎が『アメリカ素描』 で評したアメリカ合衆国は、法への忠誠、 というかアメリカ合衆国の根本的な価値観、メイフラワー誓約( 盟約、契約)に忠実であろうとする国だということ ・メリル・ストリープが演じた社主はWPにとっての『 諸価値の総合者』だったのではないかということ である。 ここで『アメリカ素描』を参照してみることにする。 『(『メイフラワー号の誓約書』) 全員が署名をすることによって相互に契約するということをおこな った。 かつ「正義公平な法」に対して服従をちかった。 法が、...

スターウォーズ #最後のジェダイ から感じたアメリカ文明

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 7月 3, 2017 at 5:31午前 PDT 【『スターウォーズ』最新作『最後のジェダイ』をテーマとした、博多祇園山笠・上川端町の2017年の山笠。2017年7月撮影】 映画を観ることが少ない筆者であるが、先日福岡市内で『 スターウォーズ 最後のジェダイ』を観てきた。 夜は家でゆっくりしたい気分だったので、 夜の部のIMAX3D版ではなく通常の字幕版を観ることにした。 このシリーズの上映を知ったのは、今は閲覧のみにしているが、 筆者の実家の近くにお住まいの映画好きの方のツイッターのアカウ ント経由であった。 映画館では空腹感を紛らすためにポップコーンと烏龍茶を買ったの だが、『Mサイズの』 ポップコーンがバケツ並みのサイズの入れ物に入って出てきたのに 内心閉口しつつ、本編前に3分の2、残りを少しずつ食べ、 3時間かけてようやく完食した。あのサイズをしょっちゅう食べ、 自己管理を誤れば、容易に肥満体になってしまうのではないか、 と思った。 シネマコンプレックスの形態の原型がアメリカにあることから、 運営が日本法人であっても、サービスなど、 アメリカの影響を多分に受けていることは否めない。 『わずか五セント(筆者註:1890-1900年代の物価) でビールをたっぷり飲んで、無料のビーフをおつまみに食う" 自由"こそアメリカの魅力であったろう。同時に、 この魅力がアメリカからもし消えることがあれば、 アメリカそのものが消滅することになるだろう。』(『 アメリカ素描』文庫版269-271ページ)と、 1890年代の食料品が溢れんばかりのフィラデルフィアの街中に ついて司馬遼太郎が生前述べているが、 あの馬鹿でかいMサイズのポップコーンも、見方を変えれば『 アメリカの魅力』ということになるのかもしれない。 さて、映画を観て思ったのは ・敵を殲滅することよりも生き延びること ・ルーク・スカイウォーカーの台詞にあったように、 成功も失敗も含めて次の世代に伝えていくこと ・ 主要な登場人物が敵同士であっても理解しようと努める姿をみてど う思うか ということを、ジョージ・ ルーカスが私達に投げかけているのではないか、 というこ...

フェイクニュースと中世の激情

Takehisa Matsuda - Lifelogさん(@matsuda_take)がシェアした投稿 - 10月 21, 2017 at 5:49午前 PDT 【旧い街並みが寺社仏閣とともに21世紀の今も残る博多区御供所町。2017年10月撮影】 『人間が政治の面で歴史時代より利口になったというのは、 ほんのわずかな部分でしかない。』(『人間の集団について』 文庫174ページ)ということを、時には思い出してみたい。 この写真で撮った街並みが、商品経済・貨幣経済や国際貿易の影響を受け続けてきた博多に出来たころと比べて、人間の社会に対する感覚は『進化』しているのだろうか。 時々、ジェンダー問題や労働問題や社会福祉の問題をみて、 2010年代の日本をまるで中世だと皮肉る人がいる。 中世とはどんなイメージだったのか、 ということを読み返してみた。 『アメリカ素描』376-379ページより引用したい。 『中世という時代規定はあいまいだが、…中世にあっては、 モノやコト、 あるいは他者についての質量や事情の認識があいまいで、 そこからうまれる物語も、また外界の情景も、 多分にオトギバナシのように荒唐無稽だった。… そういう認識の空白のぶんを大小の宗教がうずめていた。』 『近代においては、社会をおおった商品経済(貨幣経済)が、 人間をそれ以前の人間と訣別させた。学校ではなく、社会が、 モノやコト、あるいは自他を見る目を育てたのである。』 司馬遼太郎の小説は、筆者は『城塞』や『酔って候(短編集)』 を読んだ限りだが、 ロマンチシズムとリアリズムの相剋というテーマが底流にあるように思え る。 リアリズムの影響力がはっきりしてきたのが近代であるというよう にみえる。 とはいえ、 人類の歴史が中世と近代で完全に分断されているわけではない。 人間の性質は、 どれだけ時代が流転しても変わらないところは変わらない。 『中世では個々の人間が激情に支配されたが、 近代にあっては個々のなかではむしろそういう感情が閉塞し、 どういうわけか集団になったときに爆発する。 中世の激情が集団の中でよみがえるといっていい。 むろん、爆発にいたるまでには、 揮発性の高い言論が先行している。』 この一節、 私たちの文明社会は中世の地続きにある、ということを あらわしているように思...